林檎争奪戦ゲーム 1−1
〜静かなる終止符1〜
夜のネオンに艶やかな声が花を添える。
華やかな明りを散らす町の空気から一人弾かれた葛西望(かさいのぞむ)は、道の真ん中にある時計台の横に腰を下ろした。時代の止まった灰色のコートが、その異質な存在を更に際立たせて見せる。
もともと望の容姿は整っていて、すれ違う者の目を引いた。
だが、彼に声をかける勇敢な商売女など居なく、通行人はそこを避けて通る。
端から見れば、ぽっかりと空いたクレーターのようでかなりの違和感があったが、本人は別に気にしていなかった。
望は何か用があってここに来た訳ではない。
ただ、たまにはこういった喧騒を楽しみたいだけだ。
彼にとってこれは、言ってみれば娯楽だった。
静寂の中にある、普段とはかけ離れたざわめきの中で、考え巡らすのは悪くない。
普段は一日にあった事でも思い返しているのだが、一ヶ月ほど前から大きくなった不安のせいで、周りに被害が及ばないかという確認ばかりしていて少しも前に進まない。
「……ああ、あいつに会ってからか」
綻んだ口元が落とした独り言が人込みに消えた。
会ったのは一月前。
今の望が欲しがるものを全て兼ね備えた人だった。
平凡な容姿。廻り過ぎず鈍過ぎない頭。穏やかな人柄。平穏の中の生活。
それにも関わらず、望は彼に対し妬む気持ちなど欠片も覚えず、むしろその暖かな空気に惹かれた自分に驚いた。
まだ一ヶ月に満たない付き合いだが、望は彼と友達である事に今も深く感謝している。 だがそれだけで済むのは真っ当な暮らしをしていた者だけだ。
はっきり言って望は『普通』とはかけ離れた生活を送っていた。
綱渡りをそのまま表現したような人生だ。高いリスクと桁ハズレの給料。そのすれすれの日常に満足がない訳じゃない。平穏など望んだことも無かった。
「周りなんて考えた事も無かったのにな」
思わず自嘲の笑みが漏れた。
そんな事を考える余裕が出来たのも、多分彼のお陰だろう。
だからこそ、本当なら長く付き合って良い人ではない。巻き込むべきでないのは良く判っていた。だがそれはあくまでも頭の中でだ。彼の近くは心地が良く、甘いドラッグのように望を蝕み、離れようという心を後へ後へと押しやった。
これまで何に対しても大した執着などした事のなかった望にとって、それはかなりの驚きだった。今まで切り捨てようとして切り捨てられなかったものなどなかった。長くこのままでありたいと願う事もなかった。――望は生まれて初めて、自分の人間らしい面に相対したのである。それは意外と心地良い事と、気付かずに自分が今まで周囲を見下していた事に気付かせた。そして同時に周りと自分が同じである事を悟ったのである。
「如何かしたの?」
目を閉じたままじっと動かない望に、見かねた店の女が声をかけた。
気分が悪いと思ったらしい。顔を上げれば、心配そうな声と共に、ルージュを引いた厚い唇が望の目の前で歪む。それは声とは裏腹に、考え込んでいる望を心配をしている顔ではなかった。声をかけてやったのに自分を構わない事への不満と、何か変わった事を考えているのではないかという興味の目。
別にそれは構わなかった。心配される言われはない。
問題はその口元。
それが誰かに似ている気がした。どこかで見た事があった気がした。
すぐに思い出せない事実に不意に本能が危険を訴える。
いつもならすぐに判る筈だ。他愛のない事でもちゃんと連想が繋がるだけの頭を持っている自信がある。取り分け人に関する記憶には。
今望の暮す世界で、人の見分けがつかない事は死に直結していてもおかしくない。
敵と味方を区別できないようでは、護身の術も持たない細腕で、生きていくなど不可能だった。
「あ、ちょっと。大丈夫って」
女を振りほどいて望は一目散に駆け出した。
後ろから甘さの残った声が追って来る。
人にぶつかればどうしたと驚きの声が上がるが、それは望むにも判らない。
理由があるわけではないのだ。
漠然とした悪い予感が望の足を速くした。
悪い予感は当たる。
望は勘に任せて一直線に家を目指した。
だが、もし後から後悔できたなら、それが一番の間違いだった。
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